「スーパーが食品メーカーに価格転嫁を許さない」貧しい国・日本が直面する景気停滞の連鎖
物価高の日本だが、企業物価が前年比9%台の上昇なのに対して、消費者物価は3%の上昇と、米国と比べるとかなり低い水準だ。経営コンサルタントの小宮一慶さんは「米国と異なり、日本では賃金の上昇が不十分のため、企業は仕入れ上昇分を十分に最終消費財に転嫁できません。賃金が物価上昇を上回らない限り厳しい状態が続き、景気停滞とインフレが同時に来るスタグフレーションとなる恐れもあります」という――。
インフレ率発表で大きく動いたドル・円相場
11月10日の米消費者物価指数の発表を受け、ドル・円相場は一気に138円台にまで急伸しました。一時は、150円をつけ、政府は大規模介入を行い、その後は146円程度で推移していましたが、米国の消費者物価の上昇率が7.7%と発表されると、一気に円が買われました。介入では小さな効果しか続かなかったのですが、消費者物価指数の動きがドル・円相場に与える影響を見せつけました。NYダウも一気に1200ドル以上も上昇しました。
今後のドル・円相場を占う上では、短期的には日米金利差が大きな要因となります。日本の金利は上がりにくい状況で、上がっても政策金利(短期金利)ではせいぜい0.1%程度と考えられるため、日米金利差は主に、ドルの政策金利がどこまで上がるかにかかっています。
11月1、2日の米国の中央銀行FRB(連邦準備制度理事会)の政策を決定するFOMC(公開市場委員会)が終わった時点での米国の政策金利は3.75%~4%のゾーンです。12月にもFOMCがありますが、その際に、利上げが0.5%か、はたまた0.75%なのかが世界中が注目しているところですが、10日の消費者物価上昇率が予想より低かったことから、利上げ幅が抑えられるのではないかとの思惑から、ドルが売られ、株価が急上昇しました。
12月にどれだけ、そしてそれ以降のFOMCで「どこまで」米政策金利が上がるかが、ドル・円相場に大きく影響を及ぼしますが、その政策金利の上げ幅に一番大きな影響を与えるのは、今後も言うまでもなく消費者物価の上昇率です。
図表1は、今年に入ってからの日米の消費者物価、そして、企業の仕入れを表す卸売物価(日本では国内企業物価)です。
まず、米国から見ていきましょう。2022年に入り1月に7.5%だった消費者物価は6月には9.1%まで上昇しました。その後は少し下降していますが、それでも9月で8.2%です。先に述べたように、今月10日に発表された10月の数字は7.7%で、市場予想よりも幾分低めでした。
ただ、FRBの物価目標は2%ですから、まだまだとても許容できる数字ではありません。また、表にはありませんが、2021年初では、1%台でしたからそれと比べてもまだ「異常に」高い数字であることが分かります。ですから、利上げは当面続くと考えられますが、0.75%という通常の3倍の利上げをFRBは12月には行わず、0.5%とする可能性が現時点では強まったと考えられます。
一方、企業の仕入れを表す企業物価は、このところ9%前後の上昇です。企業は仕入れ分に対し通常は数割以上の利益を乗せて販売しますから、卸売物価の上昇分はほぼ最終消費財に転嫁されていると言っていいでしょう。 これは、米国では雇用の状況が良く、賃金の上昇が続いているからです。米国では、原油価格などの上昇による「コストプッシュ」型のインフレもあるものの、賃金上昇に伴い需要が高まる「ディマンドプル」型のインフレも併存しているという状態です。
日米で違うインフレの「中身」
一方、日本では、前年比9%台の企業物価の上昇に対して、消費者物価は上昇しているものの3%と、米国と比べるとかなり低い水準です。
このことは、企業の仕入れ上昇分を十分に最終消費財に転嫁できていないということを表しています。これは、米国とは異なり、日本では賃金の上昇が十分ではないからだと考えられます。コンサルト業である私の顧客の多くは中堅・中小企業ですが、企業規模の小さな会社は、その傾向が特に強いと思います。仕入れ価格の上昇を十分に転嫁できていない企業は、その分、利益を落としています。
昨今、多くの食品が値上げされていますが、取引先のスーパーとの値引き交渉に難航する会社もあるようです。ある食品メーカーの社長は「商品を値上げしたいと申し出ても、チェーンスーパーの強い抵抗にあい、価格改定に応じてくれなくて困っている。相手は大手チェーンなので、力関係がものをいう」と愚痴っていました。小売りの最前線に立つ人々は、買い物客の購買力(給与)が乏しいことを肌で実感しており、安易に値上げできないのでしょう。
政府、連合、経団連などは賃上げを要求していますが、企業、とくに中小企業では賃上げどころではない状態の会社も少なくありません。事実、賃金の統計を見ていると、ここ半年ぐらいは、実質賃金(インフレを調整した後の賃金)はマイナスが続いており、これでは景気が浮揚する力は弱いと言わざるをえません。
また、インフレ率が3%とはいえ、進んでいます。輸入物価の上昇は前年比で40%を超えており、輸入物価の上昇が、企業の仕入れ、ひいては消費者物価に影響を及ぼす「コストプッシュ」型のインフレです。残念ながら日本では景気が良くなり、給与も上がって、物価が上がる「ディマンドプル」の状況は見られません。
日本では、インバウンド消費の増加など、円安の効果が今後は少し景気を浮揚させるでしょうが、賃金が物価上昇を上回って上がらない限り全体的にはしばらくは厳しい状態が続き、場合によっては景気停滞とインフレが同時に来る「スタグフレーション」となる恐れもあります。
米国の住宅は下降局面
ドル・円相場に影響を及ぼすのは、インフレ率、ひいては日米金利差ですが、米国の景気の状況も政策金利に大きな影響を及ぼします。インフレ抑制のために、FRBは金利を上げ続けてきましたが、逆に金利を上げ過ぎると景気を冷やすことにもなりかねないという弊害があります。先に書いたように、現地では今は雇用の状態が良いので、FRBは思い切って政策金利をどんどん上昇させていますが、一部では景気に影響が出始めています。
一番端的なのは住宅市況です。
図表2は、全米の住宅価格の状況を指数化したケース・シラー住宅価格指数と新設住宅着工数ですが、明らかに落ち始めています。ケ―ス・シラー指数は長期間にわたり上昇を続け、とくにコロナが蔓延してからは、ローン金利が下がったことや在宅勤務が増えたことで住宅需要が高まり大幅に上昇しましたが、今年の6月をピークに下落し始めました。下落は長い間なかったことです。
また、住宅着工数も、4月には年換算で180万戸を超える水準でしたが、ここにきて大幅に減少しています。
これは、住宅ローン金利の上昇が最大の理由です。
コロナが大きな影響を及ぼしていた2020年には、長期金利(10年国債利回り)は1%を切る水準まで落ち込み、2021年も1%台で推移しました。これにともない、住宅ローン金利も3%台にまで落ちました。米国では住宅価格の90%近くのローンを組む人も多く、長期金利の下落は、在宅勤務の高まりとともに住宅市場に活況をもたらしました。 それが、今年に入ってからのFRBによる金融引き締めで、現状では長期金利は4%を超えており、住宅ローン金利も7%程度まで上昇しています。それにより、住宅市況が急速に冷え込んだのです。
もう一つの注目点は、企業の景況感です。
4-6月期には、税込みで年換算3兆ドルを超える企業収益を記録していました。これは過去最高の数字です。しかし、企業の景況感は下がりつつあります。企業の景況感を表すISM景気指数は、製造業の購買担当者など景気に敏感な人たちを対象に景況感を調査する指標で、「50」が良いか悪いかの境目ですが、年初に「57」程度だった指数は、10月で「50.2」と50ぎりぎりにまで低下しています。企業から見た景況感は確実に落ちています。FRBとしては、金利を上げ過ぎて企業業績、ひいては景気そのものを冷やしすぎることはぜひとも避けたいところです。
2023年早々には「コストプッシュ」のインフレ要因消滅
米国にコストプッシュのインフレをもたらした大きな要因は原油価格の上昇ですが、それがインフレ率に与える影響は2023年早々にもなくなると予想されます。インフレ率は前年同月比で計算されますが、このところの原油価格は1バレル90ドル前後です。1年前には70ドルから80ドル台でしたから、今のところは物価上昇要因となっています。
それが、2021年初には90ドル程度となり、その後100ドルを超える水準となりました。5月には115ドル程度まで上昇しています。現状の90ドル前後の水準が続けば、来年早々には物価上昇に与える影響はなくなると考えられます。その分、インフレ率は低下します。
先にも述べたように、米国では賃金の上昇が続き、「ディマンドプル」型のインフレは今後もしばらくは続くと予想されますが、企業業績がこの先落ちることがあれば、雇用や賃金が頭打ちとなり、インフレ率が低下することも考えられます。そうなれば、FRBは利上げを打ち止め、場合によっては、利下げに転じることも考えられます。そうするとドル・円相場も円高方向に振れやすくなります。
ただ、日本の経済的基礎力(ファンダメンタルズ)を考えれば、米金利低下により円がある程度まで買われることもあるかもしれませんが、長期的には円安という可能性も大きいと考えます。
以上
出典:小宮一慶/ ダイヤモンドオンライン/ 2022年11月14日