エネルギー危機、湾岸を変えるか(The Economist)
1月下旬には100万人のサッカーファンがワールドカップ(W杯)を観戦するため世界各国からカタールに詰めかける。多くの人がアラブ首長国連邦(UAE)のドバイやアブダビなどの近隣の都市を経由して現地に入り、ロシアのプーチン大統領のウクライナ侵攻を背景に3.5兆ドル(約500兆円)規模のエネルギー特需に沸く湾岸諸国の姿を目にする。
欧米の政治家は、物価高騰による生活費危機の問題が深刻化するなかで、化石燃料産出国の王族を再び表敬訪問するようになった。ドイツのショルツ首相は先週末に湾岸諸国を歴訪した。バイデン米大統領は7月、人権侵害を理由に「パーリア(嫌われ者)」と呼んでいたサウジアラビアを訪問し、事実上の最高権力者であるムハンマド皇太子と拳を合わせてあいさつした。
石油・ガスブームが起きる今、世界は深い潮目の変化に直面している。欧米諸国が対ロ制裁を実施し、気候変動対策を迫られるなかで、世界のエネルギーの流れが大きく変化している。地政学の面では、米国が世界の安全保障のリーダーの役割を果たさず、世界が多極化する状況に対応し、中東諸国は同盟関係を見直している。湾岸諸国は従来とは形を変えながらも、今後数十年にわたって世界の主要な機軸の一つであり続けるだろう。だが、新たな形が安定をもたらす保証はない。
湾岸諸国を含む中東地域は凄惨な20年を経てきた。戦争や反政府運動が度重なり、100万人もの命が暴力によって失われた。中東が世界の国内総生産(GDP)に占める比率は2012年の4%から3%に縮小した。米国はイラクとアフガニスタンで所期の成果を上げないまま、軍を一部撤退した。
湾岸諸国など長年の同盟国は、米国が抜けた後の力の空白を、イランとその代理勢力が埋める危険におびえている。湾岸のカタール、サウジ、UAEのエネルギー大国3カ国は独裁体制の国であり、世界の化石燃料需要の長期的な縮小に直面しているうえ、気候変動による降雨量の減少と気温上昇にも見舞われている。
エネルギー価格高騰、中東の増産招く
ただならぬ状況の中にも、2つの新しい動きがある。一つはエネルギー市場の変化だ。原油・ガス価格が今の水準で行けば、前述の3カ国にバーレーン、クウェート、オマーンを加えた湾岸6カ国のエネルギー関連収入は向こう5年間で3.5兆ドルに達する可能性がある。欧米諸国の対ロ制裁で、世界のエネルギー取引の流れも変化している。ロシア産石油がアジアなど東に向かう一方で、湾岸諸国は欧米への石油供給元として存在感を増している。
エネルギー市場の逼迫に応じて、サウジとUAEは石油投資を拡大している。両国は、世界でも最低水準の掘削コストと最高水準の純度という強みを生かして、最後の石油供給者になるまで業界で生き残る構えだ。21年に両国合わせて日量1300万バレルだった生産量を、中期的に1600万バレルまで引き上げようとしている。各国政府が二酸化炭素(CO2)排出量を削減し、世界の石油需要が縮小するため、両国のシェアは高まる。
カタールは今後数年のうちにガス田「ノースフィールド」で増産を計画しており、液化天然ガス(LNG)の市場で、高性能半導体市場における台湾の地位に匹敵する立場に立とうとしている。同国の目標年間生産量は21年の世界のLNG取引全体の33%に相当する。世界で天然ガスが逼迫するという同国にとってまたとないタイミングでの能力増強となる。
イランの脅威に対抗して合従連衡
湾岸諸国が化石燃料によって富を得ると同時に、世界の気候変動対策で重い責任を背負うなかで、もう一つ重要な動きがある。中東の勢力図の変化だ。イランはこの10年間、イラク、レバノン、シリアを網羅する湾岸の北方地帯で勢力圏を築いた。その反動として、エジプト、イスラエルを含む他の湾岸諸国が互いに接近している。この流れで、20年にはイスラエルとUAE、バーレーンが「アブラハム合意」を締結し、域内各国の関係正常化を後押している。
この新興ブロックの狙いの一つは、イランのドローンやミサイルの脅威から防御する体制を、イスラエルの技術を活用して築くことにあるとみられる。国境を越えたつながりが乏しい中東において、貿易を通じて域内各国を豊かにする効果も見込める。すでにイスラエルからUAEを訪れる旅行者は50万人を超え、湾岸諸国の対エジプト投資は今年220億ドルに上る。
サウジとヨルダンがいずれアブラハム合意に加わる可能性もある。仮にイスラエルがパレスチナを含む一続きの貿易圏を構築すれば、その可能性が高まる。このブロックは、世界各国との通商関係も深めようとするだろう。2月には、UAEがインドと貿易協定を締結した。金融センターとしてのロンドンと香港の地位が低下するなかで、ドバイは世界に開かれた最後の国際金融ハブの座を狙っている。
米国の政策担当者の間では、湾岸諸国の影響力低下を見込む向きもある。だが、湾岸諸国は20世紀と同様、今後数十年間にわたり、国際社会で重要な地位を保つことは間違いないといえる。欧州の石油・ガス調達に占める湾岸諸国のシェアは現在の10%未満から20%超に拡大する可能性がある。湾岸諸国が中東全体のGDPに占める比率は60%と、1981年以降で最高に達しており、今後はさらに上昇する見込みだ。
金融面では、計3兆ドルに及ぶ湾岸諸国の外貨準備と国家資産は増え続け、域外投資も加速すると見込まれる。9月29日に予定されている独ポルシェの株式上場でカタールが株式を取得するのもその一例だ。外交面では、現在よりも広い地域に勢力圏を拡大しそうだ。UAEはすでにソマリアを含む「アフリカの角」で影響力を確立している。
しかし、新しい時代がもたらしそうにないものが1つある。安定だ。湾岸諸国に好機を招く要因は不安定さの原因にもなるからだ。米国に頼らない安全保障体制の模索が、裏目に出るおそれがある。イランの好戦的な姿勢は域内で軍拡競争を招きかねない。エネルギー収入の拡大はその流れを助長する。
1970年代に石油ブームが軍事費の急拡大を招いたのと同じ構図だ。イランが核兵器を持てば、サウジやトルコなどの国々も核を手に入れようとするだろう。しかも、化石燃料時代の最終章には、中国とインドが湾岸地域への関与を強めるはずだ。
待ち受ける化石燃料脱却の難題
だが、不安定をもたらしうる最大の原因はむしろ域内にある。湾岸諸国はこれから驚くべき経済路線を進もうとしている。今後20年ほどは化石燃料の生産を拡大し、45年以降に逆に削減するというのだ。
理屈の上ではその展開は予想できる。巨額のエネルギー収入を再生可能エネルギーや水素エネルギー、淡水化システムをベースにしたハイテク経済に素早く再投資する。その流れで、数百万の雇用を創出し、多くの若者に働く場所を提供するというシナリオだ。だが現実的には、これは大変な難事業だ。うまく乗り切ったとしても、パリ協定の排出削減目標を達成することが非常に難しくなる。
独裁的な湾岸諸国の指導者たちは、自らの長期的な視野でこの転換期をうまく乗り切れると信じていることだろう。だが、そうした統治は圧政や縁故主義につながりやすく、虚栄心を満たすプロジェクトを追いがちだ。湾岸諸国が新しい姿を見せつつある一方で、昔のまま変わらない面もある。今後もその不安定さが変わることはない。世界はこれからも湾岸諸国から目をそらすことができないだろう。
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出典:日本経済新聞