ロシア軍侵攻「日本企業」が早急に再確認すべき事
危機に際し「プランB」を準備できているか
ウクライナ危機で世界規模の経済制裁が実施される中、ロシアも対抗措置に出ている。とりわけロシア政府は企業活動の停止や撤退
を決めたロシアに投資してきた外資企業に対して、ロシア国内にある企業資産を差し押さえる方針を打ち出している。
これまで外資の投資を呼び込んできたロシア政府の態度の一変は国の評価を下げ、主要格付け会社は相次いでロシアの格付けを引き
下げ、フィッチは3月2日、S&Pとムーディーズは3日から引き下げはじめた。
いずれも複数段階の格下げを実施したうえ、状況によってはさらなる引き下げの可能性を検討するとしており、ロシアの格付けは異
例の大幅な格下げに加え、さらなる格下げの可能性も出てきた。それにロシアはデフォルトに陥ることも指摘されており、ビジネスの継続は無理と判断する外資企業は増える一方だ。
注目度が増している「カントリーリスク」
ロシアからは、欧米の名だたる企業が続々と操業停止や撤退を発表する中、ソニーやトヨタ自動車などいくつかの日本の大手グロー
バル企業もその流れに乗っている。一方で、ウクライナ外務省は2022年3月10日に同省公式フェイスブックにロシアに留まる企業名を公開し、圧力を加えており、今回の戦争が情報戦ということを物語っている。
同フェイスブックには、ロシアで活動する世界のトップグローバル企業50社の中に日本企業からも大手タイヤメーカーのブリヂスト
ンや横浜ゴム、三菱グループなどのロゴが一覧に掲載された。ロシア制裁に消極的な企業に圧力を加える目的であることは明白だ。その後もロシアからの撤退を決めた企業は相次いでいる。
そこで今、注目度が増しているのが、ビジネスにおけるカントリーリスクだ。経済的な意思決定のために確度の高い情報を提供して
いるアメリカのInvestopediaは、カントリーリスクの定義を「特定の国への投資に関連する不確実性を指し、より具体的には、その不確実性が投資家の損失につながる可能性があるレベルを指す」と明記している。
不確実性は、政治的、経済的、為替レート、または技術的影響を含む多くの要因から生じる可能性があり、特に外国政府がその債券
またはその他の財政的コミットメントをデフォルトし、移転リスクを増大化させる可能性を意味している。グローバル化が進んだ自由主義の国では政府の影響を最小限に抑える規制緩和が進むことで、より自由な経済活動が保障される環境が整備されている。
ところが、昨今の企業の海外投資は、そういった環境にない新興国、途上国、あるいは中国、ロシア、インドのように、大国だがリ
スクが高い国への進出が主流になっており、政治と経済が一体化し、政治的介入が頻繁に行われることでビジネスが左右される国への投資が急増している。そのためカントリーリスクは必要不可欠な要素となっている。
筆者は南欧および北アフリカ地域の治安分析官を30年以上務めた経験から、カントリーリスク分析の最前線に身を置いてきた。結果
、感じることは戦後の日本は安全保障面でアメリカに保護され、海外進出に伴うリスクマネジメントの意識が高くないことを痛感している。自慢話ではないが、2015年にパリで発生した2回の大規模なテロを半年前に予想し、警告のレポートを書いたこともある。
リスクマネジメントは過去を分析するだけでなく、そこから見えてくる未来を予測できるかどうかが最重要とされる。あまりいいこ
ととはいえないが、予想が的中すれば、リスク分析は高く評価される。今では多くのシンクタンクも経済分析にリスク評価は当然とされ、世界のビジネススクールもカントリーリスクは必須として教えている。
リスクマネジメントは利益につながらない?
そもそもリスクマネジメントのルーツは保険にあり、大航海時代のイギリスが海外で買い占めた物資を海上輸送する際に、嵐と海賊
リスクへの対応で生まれたとされる。時は18世紀、19世紀だった。世界中を繋ぐ海上輸送には不確実な要素が非常に多く、さらに植民地で起きる独立運動や暴動、文化摩擦など大航海時代、帝国主義時代はリスクに満ちていた。
20世紀の2つの大きな大戦も不確実性を高めた。だから、欧米諸国はカントリーリスクについての知識も対応力も進んでおり、判断も早い。ひるがえって日本をみれば、第2次世界大戦でアメリカを交渉のテーブルに引き出すために絶対にやってはいけないナチスドイツとの同盟に踏み切ったわけだが、ドイツのカントリーリスクの高さを認識できていなかったことは痛い経験だ。
今、ウクライナがロシアの猛攻に持ちこたえているのは、情報戦での効果が大きいといわれている。20世紀のキリングフィールドと
いわれ、第2次大戦の独ソ戦で史上最多の約3000万人が死亡したとされる戦場だったウクライナは、生き抜いていくための術に長けている。彼らの周辺国に対するカントリーリスクの認識は非常に高い。無論、意識が高くても戦争回避はできていないのも事実だ。
不確実さが増す世界において、カントリーリスクの認識を高め、被害を最小化する努力は絶対に必要だ。ところが企業にとってリス
クマネジメントへのコストは、利益につながらないと考えられることが多く、コンプライアンス同様、稼ぎ頭となる有能な人材を配置することは少ない。コストも最小限に抑えたいところだ。
しかし、今回のロシアのようなカントリーリスクが起きた場合、その損出は計りしれない。それも生産拠点への巨額投資分が無駄に
なるだけでなく、国にとりあげられてしまうとなれば、事態は深刻だ。今の流れではロシアが完全に方向転換しない限りは、何年も信頼回復に時間を要し、外資系企業はすべてを諦めざるをえない状況に陥る可能性が高く、グローバルビジネスは委縮する。
最大のカントリーリスクは国を超えたカタストロフィ(突然の大変動)をもたらす世界戦争、それも究極は核戦争。東西冷戦期は自
殺行為につながる最終兵器である核兵器は最強の抑止力としながらも、使用する選択肢はタブーだった。背景に20世紀の2つの大戦の記憶があったことも想像できる。皮肉にも核武装によるバランスオブパワーで冷戦終結まで世界規模の戦争は回避できた。
その後もボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、スーダンやシリア内戦、アルジェリアやイラク戦争などの民族紛争、地域紛争は繰り返さ
れたが、核保有国が核使用をちらつかせるほどの戦争は起きなかった。しかし、今回のウクライナ危機では、世界最大規模の核兵器を保有するロシアのプーチン大統領が、核使用に言及している。
プーチンが核攻撃を仕掛ける可能性はゼロではない
人類が核兵器を保有するようになって76年以上が経つ。広島と長崎に原子爆弾が投下されたのはアメリカでの最初の核実験から21日後だった。それ以降、戦争に使用されたことはなく、核保有国は核兵器を最強の戦略兵器と位置付け、抑止力としてだけでなく、相手を脅迫する材料にも用いられてきた。同時に国威高揚、究極的な軍事的自立を目指す理由とされ、宇宙開発同様、国民の自尊心称揚手段として、イランや北朝鮮が核武装論にこだわっている。
しかし、核兵器使用はあまりにも甚大な被害が出るため、最近では原爆の小型化も議論され、「使える兵器」にしようという動きも
ある。専門家の中にはロシアは密かに原爆の小型化を行っており、プーチンはその使用を念頭に置いているという指摘もある。ウクライナ軍の想定以上の強い抵抗は、アメリカが広島と長崎に原爆投下を行う前の状況に似ている。
だとすれば、大都市の1つや2つが消えてしまう規模の核攻撃を行うことで日本が戦意を失ったことに見習い、プーチンが核攻撃を仕掛ける可能性はゼロとはいえない。その後の国際批判も織り込み済みかもしれないが、アメリカと違い、ロシアが失う国際的信用を取り戻すには、かなりの長い時間がかかるかもしれない。同じ核保有国で覇権主義の大国、中国は台湾を念頭に注意深く事態をうかがっていることは間違いない。
リスクマネジメントには「最悪の事態を想定する」ことが含まれるわけだが、今回のウクライナ危機の最悪の事態が核兵器の使用で
あることは確かだ。今、アメリカ政府はそのリスク分析に追われているはずだし、その場合の対応も議論されているはずだ。
最近はリスクマネジメントという言葉が使われることが多い。通常はリスクの意味はいまだ起きていない危機を指し、起きてしまった危機への対応とは分けられていた。ところがリスクそのものはコロナウイルスのように変異しながら継続するため、両方の管理が必須という認識が広がり、その全体をリスクマネジメントと呼ぶ場合が増えた。
イギリスBBCは、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)のリスク災害軽減研究所でビジネスの継続性と組織のレジリエンス
を講じる世界的に知られたリスクマネジメントの専門家、ジャンルカ・ペスカローリ博士の指導を受けようと企業が殺到していると報じている。
特に新型コロナウイルスのパンデミック以降は誰もがリスクマネジメントに関心を持つようになり、ペスカローリ氏の意見は重視さ
れている。今回、具体的にはウクライナ危機で高まる世界危機を受け、企業や組織が危機の影響に対して最善の計画と対処する方法を学ぶためだ。ペスカローリ氏いわく、多くの企業や組織が「危機に際してプランBを準備していない」と指摘している。
さらに「パンデミック、ウクライナ、気候変動のいずれであるかにかかわらず、危機に対して重視されるプロセスとサービスについ
て、非常に明確なアイデアを持っている必要がある」「準備が整っているほど、適切な対応と行動がとれる」と言っている。つまり、日本でいう「備えあれば憂いなし」ということだ。
具体例として「すべてのトップマネージャーは、今も自宅に固定電話を持っているかは考慮すべきことだ。もし固定電話がなく、次
の危機が訪れたときに、携帯電話のネットワークが崩壊した場合、彼らは通信手段を持たないことになる」とペスカローリ氏は警告する。
BBCは「昨年のあるレポートによると、『リスクマネジメントに特化した業界は2019年に74億ドル規模の価値があったのが、2027
年までに289億ドルに達すると予測されており、その数字は、2月にウクライナで危機が発生する前に計算されたものだ』」と指摘している。
リスク対応マニュアルを作成していない日本企業も
筆者がこの業界に関わるようになった30年前、先を見据えた欧米の大企業は、取締役会レベルでリスクマネジャーを任命し始めてい
た。その人物には危機発生時を乗り切るための権限と責任が与えられている。単なる参考意見を聞くレベルではなく、リスクマネジャーは日ごろから、実際の危機を想定し、シミュレーションを繰り返し、対応プランを練り上げている。
一方、海外進出した日本企業の中には、リスク対応マニュアルを作成していない企業もある。リスクマネジメントではリスクを洗い
出し、その程度をレベル分けし、対応策の優先順位を決めなければならない。それを決めるのはリスク発生に最も近いリスクオーナーと呼ばれる人物に権限と責任が委ねられるが、日本は集団管理で1人の人間に権限も責任も集中していない場合が多い。また、遠く離れた現場を知らない本社に権限が集中している場合も少なくない。
この10年、リスクプランが大幅に増加した業界は金融業界で、特に2008年のリーマンショックの金融危機は業界の意識を変えさせ
た。リスク対応に失敗すれば会社が倒産に追い込まれるだけでなく、国がデフォルトに陥る可能性もあるからだ。リーマンショックおよびギリシャの財政危機以降、欧州の金融業界はストレステストを繰り返した。
ペスカローリ氏は「将来のリスクにどう対処するかを考えることは、政府や企業に限定されるべきではなく、個人や家庭も考慮され
るべきだ」と指摘している。
筆者の経験では、まずはリスクに対する免疫力をどうつけるかが最も重要で、次にリスクを洗い出す作業における豊かな想像力とリ
スクを感じる感性を磨くことが必要だ。そのうえで継続、変異するリスクを細心の注意を払って継続的に監視し、説得力を持つコンテクストに裏打ちされた対応プランを練っておくことが求められる。
安部 雅延 : 国際ジャーナリスト
東洋経済オンラインニュース 2022.3.23